安田忠夫さん死去、62歳…元プロレスラー「借金王」自宅で倒れているのを発見、バンナ戦勝利で一世を風靡

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はじめに

2026年2月8日、元プロレスラーで元大相撲力士の安田忠夫さんが死去しました。62歳でした。同日出勤予定だった警備会社に姿を見せず、心配した同僚が都内の自宅を訪れたところ、室内で倒れているところを発見しました。死亡推定時刻は同日午前2時ごろとみられています。安田さんは1963年10月9日生まれ、東京都大田区出身。中学3年生で大相撲の九重部屋に入門し、孝乃富士の四股名で小結まで昇進。1993年にプロレスラーに転向し、2001年大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」でジェロム・レ・バンナに勝利し大金星を挙げました。リング上で娘を肩車して男泣きする姿は多くの人々の心を打ちました。私生活ではギャンブル好きで「借金王」の異名を持ち、波瀾万丈の人生を送りました。

2026年2月8日、安田忠夫さん死去

自宅で倒れているのを発見

2026年2月8日、元プロレスラーの安田忠夫さんが死去しました。62歳でした。

安田さんは同日出勤予定だったが、職場の警備会社に姿を見せませんでした。

心配した同僚が都内の自宅を訪れたところ、室内で倒れているところを発見しました。

死亡推定時刻は同日午前2時ごろ

死亡推定時刻は同日午前2時ごろとみられています。

詳しい死因は不明ですが、急逝だったとみられています。

新日本プロレスが公式サイトで発表

2026年2月10日、かつて所属した新日本プロレスが公式ホームページで発表しました。

「謹んで、安田忠夫さんのご冥福をお祈りいたします」と悼みました。

安田忠夫のプロフィール

本名: 安田忠夫(やすだ・ただお)
生年月日: 1963年10月9日
没年月日: 2026年2月8日(62歳没)
出身地: 東京都大田区
身長: 192cm
体重: 143kg(大相撲時代)
: AYAMI(元レースクイーン)

中学3年で大相撲九重部屋に入門、小結まで昇進

1979年3月場所で初土俵

安田さんは中学3年生の1学期に大きな体を見込まれて九重部屋からの勧誘を受けました。

最初は運動経験がないことを理由に断りましたが、「料理を覚えることもできるぞ」と九重に説得されて入門に至りました。

1979年3月場所で初土俵を踏みました。

四股名は「富士の森」「孝乃富士」

入門当初の四股名は本名と同じ安田でしたが、1980年3月場所には富士の森、1984年3月場所以降は孝乃富士(たかのふじ)と名乗りました。

1986年5月場所に新入幕、1990年7月場所に小結昇進

1986年5月場所に新入幕を果たしました。

1990年7月場所には小結に昇進しました。

「花のサンパチ組」の一員

若手の頃は同部屋同期入門の北勝海信芳や、双羽黒(北尾光司)、寺尾常史、琴ヶ梅剛史、小錦八十吉らとともに「花のサンパチ組」と称されました。

1992年5月場所を最後に28歳で廃業

1992年5月場所を最後に28歳で力士を廃業しました。

1993年、プロレスラーに転向

新日本プロレスに入門

大相撲廃業後の1993年6月、新日本プロレスに入門しました。

1994年2月、日本武道館で馳浩戦でデビュー

1994年2月24日、日本武道館での馳浩戦でプロレスデビューを果たしました。

「ポスト坂口征二」として期待される

恵まれた体格と格闘センスでポスト坂口征二(坂口から赤いコスチュームと入場曲「燃えよ荒鷲」を受け継いだ)として期待されました。

しかし、大きなチャンスを与えられることもなく、結果を出せない中堅レスラーとしての日々が長く続きました。

2001年大みそか、バンナ戦で大金星

アントニオ猪木に見出されて総合格闘技に挑戦

2001年、アントニオ猪木に見出されて、総合格闘技に挑戦しました。

「INOKI BOM-BA-YE 2001」でジェロム・レ・バンナに勝利

2001年大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」では、メインイベントで当時K-1トップ選手のジェロム・レ・バンナ(フランス)と対戦しました。

大方の予想を覆し、2Rハーフガードポジションからの前腕チョーク(当時はギロチンチョークと表記)で大金星を挙げました。

リング上で愛娘を肩車して男泣き

試合後、リング上で当時中学生だった長女のAYAMIさんを肩車し、感極まって涙を流す姿は、多くの視聴者の心を打ちました。

“世紀の番狂わせ”として大きな感動を呼びました。

2002年、IWGPヘビー級王座を戴冠

2002年2月には第30代IWGPヘビー級王座に輝きました。

同年にはヒールに転向し、悪党ユニット「魔界倶楽部」として、ふてぶてしく暴れ回りました。

2005年、新日本プロレスを解雇

その後は素行不良などの影響で活躍の場が減少しました。

2005年1月に新日本プロレスを解雇されました。

その後はIWAジャパン、ZERO1-MAX、ハッスル、IGFなど団体を渡り歩きました。

2011年2月、引退興行を開催

2011年2月4日、有志による引退興行実行委員会の助力で安田忠夫引退記念興行「日本とプロレスにおさらばします。」を後楽園ホールで開催しました。

オープニングマッチで曙と、第4試合でのタッグマッチで大谷晋二郎とタッグを組んで高山善廣・鈴木みのる組と、メインイベントでは天龍源一郎と3試合を戦いました。

試合終了後には引退式が行なわれ、娘・AYAMIが手紙を読み上げ、10カウントゴングが鳴らされました。

私生活:「借金王」の異名

ギャンブル好きで知られる

私生活では根っからのギャンブル好きで知られ、借金苦に陥っていたこともありました。

「借金王」「平成の借金王」という異名もとりました。

家族とも離縁

家族とも離縁しました。

2007年、自殺未遂騒動

2007年10月5日には都内の自宅で倒れているところを田山正雄レフェリーに発見され、救急車で病院に運ばれていたことが判明しました。

練炭を使って自殺を図ったと見られていましたが、後に本人が自殺未遂を否定していたこともありました。

引退後は職を転々、近年は警備員として勤務

引退後はブラジルに渡る予定でしたが、引退興行実行委員会との金銭トラブルを理由に、渡航予定日に空港に姿を現すことはありませんでした。

その後、カンボジアのカジノ企業に就職が決まったと報じられましたが、同年10月末には辞職し帰国していました。

2017年末には芸能事務所「アフロディーテ プロモーション」に所属しタレント業を開始しました。

2018年5月よりYouTubeチャンネル「安田忠夫の人生劇場」を開設しましたが、2021年9月に閉鎖しました。

2022年3月現在、列車見張員の仕事をしていました。

近年は警備員として働いており、亡くなる直前まで警備会社で働いていました。

まとめ

2026年2月8日、元プロレスラーで元大相撲力士の安田忠夫さんが死去しました。62歳でした。都内の自宅で倒れているところを同僚に発見され、死亡推定時刻は同日午前2時ごろとみられています。安田さんは1963年10月9日生まれ、東京都大田区出身。中学3年で大相撲九重部屋に入門し、孝乃富士の四股名で1990年に小結まで昇進。1993年にプロレスラーに転向し、2001年大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」でジェロム・レ・バンナに勝利し大金星。リング上で娘を肩車して男泣きする姿は多くの人々に感動を与えました。2002年にはIWGPヘビー級王座を戴冠。私生活ではギャンブル好きで「借金王」の異名を持ち、波瀾万丈の人生を送りました。2011年に引退後は職を転々とし、近年は警備員として働いていました。


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