安田忠夫の経歴とは?孝乃富士で小結昇進、プロレス転向後バンナに大金星、IWGPヘビー級王座戴冠も「借金王」

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  1. はじめに
  2. 安田忠夫のプロフィール
  3. 中学3年で大相撲九重部屋に入門
    1. 1979年3月場所で初土俵
    2. 四股名の変遷:安田→富士の森→孝乃富士
    3. 1986年5月場所に新入幕
    4. 「花のサンパチ組」の一員
    5. 1990年7月場所に小結昇進
    6. 1992年5月場所を最後に28歳で廃業
  4. 1993年、プロレスラーに転向
    1. 新日本プロレスに入門
    2. 1994年2月、日本武道館で馳浩戦でデビュー
    3. 「ポスト坂口征二」として期待されるも苦戦
  5. 2001年、アントニオ猪木に見出されて総合格闘技に挑戦
    1. PRIDE.13で総合格闘家デビュー
    2. 2001年大みそか「INOKI BOM-BA-YE 2001」でバンナに大金星
    3. リング上で愛娘を肩車して男泣き、時の人に
  6. 2002年、IWGPヘビー級王座を戴冠
    1. ヒールに転向、悪党ユニット「魔界倶楽部」
  7. 2005年、新日本プロレスを解雇
    1. 素行不良で活躍の場が減少
    2. 2005年1月に新日本プロレスを解雇
    3. IWAジャパン、ZERO1-MAX、ハッスル、IGFなど団体を渡り歩く
  8. 2011年2月、引退興行を開催
    1. 曙、高山善廣・鈴木みのる組、天龍源一郎と3試合
    2. 娘・AYAMIが手紙を読み上げ、10カウントゴング
  9. 私生活:「借金王」の異名
    1. ギャンブル好きで莫大な借金
    2. 家族とも離縁
    3. 2007年、自殺未遂騒動
  10. 引退後の人生
    1. ブラジル渡航予定も空港に現れず
    2. カンボジアのカジノ企業に就職も10月末に辞職
    3. タレント業、YouTubeチャンネルも開設
    4. 列車見張員、警備員として勤務
    5. 孫への誕生日プレゼントは欠かさず
  11. まとめ
    1. 関連記事
    2. 参考情報・外部リンク

はじめに

2026年2月8日に62歳で死去した元プロレスラー・安田忠夫さん。1963年10月9日生まれ、東京都大田区出身の安田さんは、中学3年生で大相撲の九重部屋に入門し、孝乃富士(たかのふじ)の四股名で1990年に小結まで昇進しました。1993年にプロレスラーに転向し、2001年大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」でジェロム・レ・バンナに勝利し大金星を挙げました。2002年にはIWGPヘビー級王座を戴冠。しかし私生活ではギャンブル好きで「借金王」の異名を持ち、2005年に新日本プロレスを解雇され、2011年に引退。引退後は職を転々とし、近年は警備員として働いていました。本記事では、安田忠夫さんの波瀾万丈の経歴を詳しく解説します。

安田忠夫のプロフィール

本名: 安田忠夫(やすだ・ただお)
生年月日: 1963年10月9日
没年月日: 2026年2月8日(62歳没)
出身地: 東京都大田区
身長: 192cm
体重: 143kg(大相撲時代)
四股名: 安田→富士の森→孝乃富士
最高位: 小結
: AYAMI(元レースクイーン)

中学3年で大相撲九重部屋に入門

1979年3月場所で初土俵

安田さんは中学3年生の1学期に大きな体を見込まれて九重部屋からの勧誘を受けました。

最初は運動経験がないことを理由に断りましたが、「料理を覚えることもできるぞ」と九重に説得されて入門に至りました。

1979年3月場所で初土俵を踏みました。当時15歳でした。

四股名の変遷:安田→富士の森→孝乃富士

入門当初の四股名は本名と同じ安田でした。

1980年3月場所には富士の森と改名しました。

1984年3月場所以降は孝乃富士(たかのふじ)と名乗りました。

1986年5月場所に新入幕

懐が深く、胸を合わせての左四つが得意でしたが、立合いを苦手としていました。

1986年5月場所に新入幕を果たしました。

「花のサンパチ組」の一員

若手の頃は同部屋同期入門の北勝海信芳や、双羽黒(北尾光司)、寺尾常史、琴ヶ梅剛史、小錦八十吉らとともに「花のサンパチ組」と称されました。

1990年7月場所に小結昇進

1990年7月場所には小結に昇進しました。

これが安田さんの最高位となりました。

1992年5月場所を最後に28歳で廃業

1992年5月場所を最後に28歳で力士を廃業しました。

1993年、プロレスラーに転向

新日本プロレスに入門

大相撲廃業後の1993年6月、新日本プロレスに入門しました。

1994年2月、日本武道館で馳浩戦でデビュー

1994年2月24日、日本武道館での馳浩戦でプロレスデビューを果たしました。

「ポスト坂口征二」として期待されるも苦戦

恵まれた体格と格闘センスでポスト坂口征二(坂口から赤いコスチュームと入場曲「燃えよ荒鷲」を受け継いだ)として期待されました。

しかし、大きなチャンスを与えられることもなく、結果を出せない中堅レスラーとしての日々が長く続きました。

穏やかな人柄で橋本真也らからは「ヤスティ」の愛称で呼ばれ可愛がられました。

2001年、アントニオ猪木に見出されて総合格闘技に挑戦

PRIDE.13で総合格闘家デビュー

2001年3月の「PRIDE.13」で総合格闘家デビューを果たしました。

元K-1ファイターの佐竹雅昭から判定勝利を挙げました。

2001年大みそか「INOKI BOM-BA-YE 2001」でバンナに大金星

2001年大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」では、メインイベントで当時K-1トップ選手のジェロム・レ・バンナ(フランス)と総合格闘技ルールで対戦しました。

K-1で”無冠の帝王”と呼ばれたバンナに対し、大方の予想を覆し、2Rハーフガードポジションからの前腕チョーク(当時はギロチンチョークと表記)で締め落として大金星を挙げました。

リング上で愛娘を肩車して男泣き、時の人に

試合後、リング上で当時中学生だった長女のAYAMIさんを肩車し、感極まって涙を流す姿は、お茶の間に大きな感動を与えました。

“世紀の番狂わせ”として時の人となりました。

2002年、IWGPヘビー級王座を戴冠

2002年2月には第30代IWGPヘビー級王座に輝きました。

プロレスラーとして頂点に立った瞬間でした。

ヒールに転向、悪党ユニット「魔界倶楽部」

同年にはヒールに転向し、悪党ユニット「魔界倶楽部」として、ふてぶてしく暴れ回りました。

2005年、新日本プロレスを解雇

素行不良で活躍の場が減少

その後は素行不良などの影響で活躍の場が減少しました。

2005年1月に新日本プロレスを解雇

2005年1月に新日本プロレスを解雇されました。

IWAジャパン、ZERO1-MAX、ハッスル、IGFなど団体を渡り歩く

その後はIWAジャパン、ZERO1-MAX、ハッスル、IGFなど団体を渡り歩きました。

2011年2月、引退興行を開催

2011年2月4日、有志による引退興行実行委員会の助力で安田忠夫引退記念興行「日本とプロレスにおさらばします。」を後楽園ホールで開催しました。

曙、高山善廣・鈴木みのる組、天龍源一郎と3試合

オープニングマッチで曙と対戦しました。

第4試合では大谷晋二郎とタッグを組んで高山善廣・鈴木みのる組と対戦しました。

メインイベントでは天龍源一郎と対戦し、1日3試合をこなしました。

最後は天龍の足四の字固めでセコンドからタオルが投入され、TKO負けとなりました。

娘・AYAMIが手紙を読み上げ、10カウントゴング

試合終了後には引退式が行なわれ、娘・AYAMIが手紙を読み上げ、10カウントゴングが鳴らされました。

私生活:「借金王」の異名

ギャンブル好きで莫大な借金

私生活では根っからのギャンブル好きで知られ、借金苦に陥っていました。

莫大な借金を抱え、「借金王」「平成の借金王」という異名もとりました。

家族とも離縁

家族とも離縁しました。

2007年、自殺未遂騒動

2007年10月5日には都内の自宅で倒れているところを田山正雄レフェリーに発見され、救急車で病院に運ばれていました。

練炭を使って自殺を図ったと見られていましたが、後に本人が自殺未遂を否定していました。

引退後の人生

ブラジル渡航予定も空港に現れず

引退後はブラジルに渡り、農場で働きつつ相撲を教える予定でしたが、引退興行実行委員会との金銭トラブルを理由に、渡航予定日に空港に姿を現すことはありませんでした。

カンボジアのカジノ企業に就職も10月末に辞職

その後、カンボジアの国際的カジノ企業「ゴールデン・パームグループ」に就職が決まったと報じられましたが、2011年10月末には同社を辞職し帰国していました。

タレント業、YouTubeチャンネルも開設

2017年末には芸能事務所「アフロディーテ プロモーション」に所属しタレント業を開始しました。

2018年5月よりYouTubeチャンネル「安田忠夫の人生劇場」を開設しましたが、2021年9月に閉鎖しました。

列車見張員、警備員として勤務

2022年3月現在、列車見張員の仕事をしていました。

近年は警備員として働いており、工事現場の夜勤や列車見張りなどをこなしていました。

亡くなる直前まで警備会社で働いていました。

孫への誕生日プレゼントは欠かさず

ギャンブルは相変わらずやめられませんでしたが、それでも真面目に働き、孫への誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントだけは欠かさなかったと言われています。

まとめ

安田忠夫さんは1963年10月9日生まれ、東京都大田区出身。中学3年で大相撲九重部屋に入門し、1979年に初土俵。孝乃富士の四股名で1990年に小結まで昇進しました。1992年に廃業後、1993年に新日本プロレスに入門し、1994年にデビュー。2001年にアントニオ猪木に見出されて総合格闘技に挑戦し、大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」でジェロム・レ・バンナに勝利し大金星。リング上で娘を肩車して男泣きする姿は多くの人々に感動を与えました。2002年にはIWGPヘビー級王座を戴冠しましたが、素行不良で2005年に新日本プロレスを解雇。2011年に引退後は職を転々とし、近年は警備員として働いていました。私生活ではギャンブル好きで「借金王」の異名を持ち、波瀾万丈の人生を送りました。2026年2月8日、62歳で死去しました。


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