鈴木辰己の経歴とは?浜松を支えた大エース、1500勝達成までの軌跡

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はじめに

2026年1月25日に訃報が伝えられた鈴木辰己選手。72歳でレース中の事故により亡くなるまで、50年以上にわたりオートレース界で活躍し続けました。通算107勝、1560回の1着、そして2023年には史上6人目の1500勝達成。本記事では、浜松オートレース場を一人で支え続けた大エース・鈴木辰己選手の経歴と、その偉大な軌跡を詳しく振り返ります。

鈴木辰己の基本プロフィール

本名: 鈴木辰己(すずき・たつみ)
生年月日: 1953年3月11日
没年月日: 2026年1月25日(享年72歳)
出身地: 静岡県
所属: 浜松オートレース場
: 13期
選手登録日: 1975年3月24日
身長: 159.2cm
体重: 56.1kg
血液型: A型
趣味: 魚釣り
家族: 娘はボートレーサーの鈴木成美

1975年、22歳で選手登録

鈴木辰己選手がオートレース選手として登録されたのは、1975年3月24日のことでした。当時22歳。13期生として、オートレーサーとしてのキャリアをスタートさせました。

1975年といえば、沖縄国際海洋博覧会が開催され、エリザベス女王が来日した年。高度経済成長期からオイルショックを経て、日本社会が変革期を迎えていた時代です。

そんな時代に、静岡県出身の若者・鈴木辰己は、オートレースの世界に飛び込みました。

浜松の大エース誕生:新人時代からの急成長

エース不在の浜松で期待された新星

鈴木選手が選手登録された翌年の1976年、オートレース界に大きな変化がありました。

廃止された大井オートレース場に代わり、伊勢崎オートレース場が新設されたのです。この際、当時浜松のエース選手であった山元正次(6期)が伊勢崎オートレース場に移籍することとなりました。

浜松オートレース場は、エース不在の状態に。新たなエースの誕生が期待されていた時期に新人時代を過ごした鈴木辰己選手は、まさにその期待を一身に背負う存在でした。

1980年、初の記念タイトル獲得

鈴木選手は期待に応え、順調な成長を見せます。

1980年、選手登録から5年目にして、初の記念タイトルを獲得。「春のスピード王決定戦」(浜松オートレース場)で優勝を飾りました。

この優勝が、鈴木辰己選手の長いキャリアの幕開けとなります。

カミソリのようなスタート力:鈴木辰己のレーススタイル

最大の武器は「スタートダッシュ」

鈴木辰己選手の最大の武器は、「カミソリのような切れ味のスタート力」でした。

オートレースでは、スタート時のポジション取りが非常に重要です。鈴木選手は、そのスタートダッシュで他の選手を圧倒。トップスタートを切り、そのままレースを支配するスタイルで勝利を重ねていきました。

A級1位連続記録

高橋貢選手(22期、伊勢崎オートレース場所属)に破られるまで、鈴木選手はオートレース選手競走ランク連続A級(後にS級に改変される)1位の連続記録を持っていました。

これは、長期間にわたって安定したトップレベルの成績を維持し続けたことを意味します。

浜松の一枚看板として君臨

1980年代、浜松の選手のレベルは他地区のそれと差がつけられてしまっている状況でした。

そんな中、鈴木辰己選手が事実上「浜松の一枚看板」として君臨することとなりました。

浜松オートレース場を一人で支え続ける。その重圧は計り知れないものがあったでしょう。しかし鈴木選手は、その期待に応え続けました。

SG・GI・GIIでの輝かしい戦績

1990年、SG初制覇

1990年、川口オートレース場で開催されたオールスターオートレース。

鈴木辰己選手は、この大舞台でSG初制覇を成し遂げました。選手登録から15年目、37歳での悲願の達成でした。

GI優勝8回、GII優勝7回

鈴木選手のグレードレース(SG・GI・GII)優勝回数は合計16回。

GI優勝回数: 8回

  • 秋のスピード王決定戦(2003年、浜松)
  • 中日スポーツ杯争奪サマーチャンピオン決定戦(1996年・2000年、浜松)
  • 春のスピード王決定戦(1980年・1983年・1988年、浜松)
  • 市制周年記念レース(1983年・1984年、浜松)

GII優勝回数: 7回

特に地元・浜松での優勝が多いのが特徴です。地元ファンの期待に応え続けた証でもあります。

何度も準優勝:SG王者にあと一歩届かなかった戦い

1983年、地元浜松での準優勝

1983年、地元浜松で開催された第15回日本選手権オートレース。

鈴木選手は優出を果たし、優勝戦で力走。しかし、あと一歩のところで飯塚将光選手(9期、船橋オートレース場所属)に捌かれ、準優勝に終わりました。

1985年、山元正次との師弟対決

1985年、伊勢崎で開催された第17回日本選手権。

鈴木選手は、かつての先輩である山元正次選手と共に優勝戦に臨みました。トップスタートを切るも、篠崎実選手(9期、川口オートレース場所属)に捌かれてしまい、またも準優勝に終わりました。

1988年、ニューフジ二気筒での挑戦

1988年、飯塚オートレース場で開催された第20回日本選手権。

鈴木選手は、参加選手のうちただ一人ニューフジ二気筒を駆り優出。優勝戦では、トライアンフやメグロ二気筒を駆る他の選手を遥かに上回る直線での速力を武器に勇戦しました。

しかし、中盤からエンジンが変調を来たしてしまい、無念の涙を飲みました。

何度もSGのタイトルにあと一歩まで迫りながら、1990年のオールスター以外では頂点に立つことができなかった鈴木選手。それでも挑戦し続ける姿勢こそが、ファンを魅了しました。

2002年、伊藤信夫との激闘

伊藤信夫選手(24期)の台頭により、鈴木選手はエースの座を譲ることになります。

しかし2002年、鈴木選手は GIゴールデンレースを制覇。

そして同年のSG第21回オールスターオートレース優勝戦では、試走タイム3.27を叩き出し、トップスタートを切ると、伊藤信夫選手の猛烈な追い上げを尻目に終始レースをリードし続けました。

惜しくも最終周回で伊藤信夫選手に捌かれてしまい優勝を逃しましたが、地元浜松勢が表彰台を独占する結果となりました。

49歳での激走。ベテランの意地を見せつけました。

通算1000勝、100回優勝達成

鈴木辰己選手は、浜松所属の選手で唯一、通算勝利数1000勝と通算優勝回数100回の両方を達成しています。

1000勝達成時期は不明ですが、長年にわたる積み重ねの結果です。

そして通算107回の優勝。これは並大抵の努力では成し遂げられない記録です。

2023年1月、史上6人目の1500勝達成

69歳での大記録達成

2023年1月4日、浜松オートレース場で開催された「第7回 花の舞新酒杯」(普通開催)開催最終日の第10レース。

鈴木辰己選手は1着でゴール。オートレース史上6人目の通算1,500勝を達成しました。

このとき鈴木選手は69歳。選手登録から47年が経過していました。

「まだまだ走れる」

1500勝達成後も、鈴木選手は引退することなく現役を続けました。

「まだまだ走れる」「オートレースが好きだから」

鈴木選手の言葉は記録に残っていませんが、その姿勢がすべてを物語っています。

72歳まで現役:最後まで走り続けた伝説

2026年1月24日、最後のレース

2026年1月24日、川口オートレース場。

鈴木辰己選手は、72歳でありながら現役選手として出走しました。

それが最後のレースとなってしまいました。

通算1560回の1着

鈴木選手の通算1着回数は1560回。

50年以上のキャリアで、1560回も1着でゴールテープを切ってきました。

平均すると、年間約30回の1着。これは驚異的な記録です。

鈴木辰己選手が遺した記録

  • 選手登録: 1975年3月24日(13期)
  • 選手生活: 50年以上
  • 通算優勝回数: 107回
  • 通算1着回数: 1560回
  • グレードレース優勝回数: 16回(SG1回、GI8回、GII7回)
  • 1500勝達成: 2023年1月4日(史上6人目)
  • 浜松所属選手唯一: 通算1000勝と100回優勝の両方達成

まとめ

鈴木辰己選手は、1975年に22歳で選手登録し、2026年1月25日に72歳で亡くなるまで、50年以上にわたりオートレース界で活躍しました。浜松オートレース場の大エースとして、通算107勝、1560回の1着を記録。2023年には史上6人目の1500勝を達成し、最後まで現役レーサーとして走り続けました。カミソリのような切れ味のスタート力を武器に、数々のタイトルを獲得。浜松を一人で支え続けた伝説のレーサーとして、その名は永遠にオートレース史に刻まれるでしょう。


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