はじめに
昭和を代表する大歌手・島倉千代子さんと、「地獄に堕ちるわよ!」で一世を風靡した占い師・細木数子さん。二人の間には、16億円とも言われる莫大な借金をめぐる深い関係がありました。一見すると「恩人」と「救われた歌手」の美談のように見えますが、その実態は複雑で、芸能界でも大きな注目を集めました。本記事では、島倉千代子さんと細木数子さんの関係について、借金問題の真相から確執まで詳しく解説します。
島倉千代子の借金地獄の始まり
島倉千代子さんが借金地獄に陥ったのは、1975年のことでした。きっかけは、かつて失明の危機から救ってくれた眼科医への恩義でした。
島倉さんは1961年、ファンが投げたテープの芯が目に直撃し、失明寸前の大けがを負いました。その治療を担当したのが眼科医の守屋義人氏です。命の恩人とも言える守屋氏から「実印を貸してほしい」と頼まれた島倉さんは、断ることができませんでした。
しかし、この善意が仇となります。守屋氏は芸能プロダクションを設立するなど様々な事業に手を出し、次々と借金を重ねていきました。気づけば島倉さんは、守屋氏だけでなくマネージャーや面識のない赤の他人まで、多数の人々の保証人にされていたのです。
借金は雪だるま式に膨らみ、総額16億円(一説には13億円とも)という莫大な金額に達しました。しかも保証人となった人々は次々と行方不明となり、債権者たちが島倉さんのもとに押し寄せる事態となったのです。
細木数子との出会い
島倉千代子さんと細木数子さんが出会ったのは1977年、島倉さんが借金問題で苦しんでいた時期でした。
ある日、新宿コマ劇場で公演を終えた島倉さんが、大勢の債権者に取り囲まれて困り果てているところに、細木さんが駆けつけました。当時の細木さんは暴力団関係者の内縁の妻で、裏社会に広い人脈を持っていました。
細木さんは1977年3月、債権者を自分が経営するクラブ「艶歌」に集め、テーブルの上に3億円の現金を積み上げました。そして債権者たちに対し「あんたはいくら貸したんだ」「実際に借りた金より膨らんでいるじゃないか」と詰め寄り、13億円にまで膨らんでいた借金を3億円でチャラにしてしまったのです。
この劇的な解決により、島倉さんは細木さんを「細木のママ」と呼んで慕うようになり、「借金を肩代わりしてくれた大恩人」として深く信頼するようになりました。
「恩人」から「支配者」へ
しかし、借金問題の解決は美談では終わりませんでした。
細木さんが借金を肩代わりしたことで、島倉さんの債権者は細木さんに移り、島倉さんの興行権も細木さんが握ることになったのです。細木さんは1977年3月に芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立し、「光星龍」という名前で社長に就任。島倉さんのマネージャーも務めるようになりました。
ここから島倉さんの仕事内容は大きく変わります。レコード会社のコロムビア関係者や作詞家、作曲家たちは細木さんを恐れて島倉さんに近づけなくなり、島倉さんは新曲を出すこともままならない状態となりました。
代わりに増えたのが、地方のキャバレーやクラブでの営業です。島倉さんは細木さんから「てめぇ」「コノヤロー」「明日の命だよ」「死ぬ気でやれ」とヤクザ口調で脅されながら、馬車馬のように働かされたと言われています。
当時の島倉さんの年間出演料は2億2000万円。本来なら1年もあれば借金を返済できたはずですが、3年間働いても借金は減るどころか増えていました。細木さんは島倉さんの負債額を、その時々で2億4000万円、4億3000万円、12億円、13億円、16億円と、言い分を変えていたとされています。
日本コロムビアによる救出
このアリ地獄のような状況を見かねたのが、島倉さんの知人たちと所属レコード会社の日本コロムビアでした。
島倉さんは「働いても働いても借金は減らないし、こんなに働いているのに私には何も残らない」と親しい人にこぼすようになっていました。1981年頃、日本コロムビアが細木さんから島倉さんの興行権を取得することで話がまとまります。
しかし、細木さんは「借金の決着をつけたのは私なのに礼はないのか。1億円くらいもらっても罰は当たらないよ」と、借金返済の1億円に加えて礼金1億円の合計2億円を要求してきました。
結局、日本コロムビアが2億円を立て替える形で、島倉さんはようやく細木さんとの関係を断ち切ることができたのです。
島倉千代子の沈黙と告白
細木さんと縁を切った後、島倉さんは細木さんとの関係を知る人間を避けるようになりました。そして長年、細木さんについて公の場で語ることはありませんでした。
しかし2005年、著書「島倉家 これが私の遺言」の出版記念会見で、島倉さんは目に涙を浮かべながらこう語ったと言われています。
「法律が許してくれるならば、この手で刺したい」
名指しこそしなかったものの、その言葉には深い恨みと怒りが込められていました。
奇しくも同じ日に亡くなった二人
島倉千代子さんは2013年11月8日、肝臓がんのため75歳で逝去しました。
そして奇しくも、それから8年後の2021年11月8日、細木数子さんも呼吸不全のため83歳で逝去しました。二人は同じ日に天国へと旅立ったのです。
島倉さんの実弟・征夫さんは後に、細木さんについてこう語っています。
「細木に馬車馬のように働かされたからこそ、鬱やノイローゼになる暇もなかった。千代子の寿命は10年延びたと思いますよ」
複雑な心境が滲む言葉です。
まとめ
島倉千代子さんと細木数子さんの関係は、単純な「恩人と被救済者」という構図では語れない複雑なものでした。
細木さんが島倉さんの借金問題を解決したのは事実ですが、その代償として島倉さんは3年間にわたって搾取され続けました。この出来事は、芸能界の裏側の厳しさと、人間関係の複雑さを物語るエピソードとして、今も語り継がれています。
島倉さんは最終的に借金を完済し、歌手として輝かしいキャリアを全うしました。その強さと歌への情熱は、多くの人々に感動を与え続けています。


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