吉村作治は何者?82歳の今も発掘を続けるエジプト考古学者の経歴・発見・現在まで

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82歳の今も現役でエジプトの砂漠を掘り続ける日本のエジプト考古学の第一人者、吉村作治さん。10歳で抱いた夢を60年以上追い続け、東大に4回落ちても諦めず、アジア初のエジプト発掘権を取得し、数々の大発見を成し遂げてきました。「魚の丘遺跡」「青いミイラマスク」の発見者として知られ、現在は「太陽の船」復原プロジェクトに挑戦中。テレビでもおなじみの吉村作治さんの人生を、生い立ちから現在まで詳しく解説します。


吉村作治って誰?基本プロフィール

吉村作治(よしむら さくじ) さんは、日本を代表するエジプト考古学者です。

基本情報:

  • 生年月日: 1943年2月1日(82歳)
  • 出身地: 東京都新宿区
  • 学歴: 早稲田大学第一文学部美術史学科卒業、工学博士
  • 現職: 東日本国際大学総長、早稲田大学名誉教授

主な肩書き:

  • エジプト考古学者
  • 東日本国際大学総長
  • 早稲田大学名誉教授
  • サイバー大学客員教授
  • タレント

テレビ番組でもおなじみの「エジプトといえばこの人!」という存在で、専門的な考古学研究と同時に、エジプトの魅力を一般の人々に伝える活動も精力的に行っています。


10歳の夢「エジプトに行きたい!」

映画『十戒』との運命的な出会い

吉村作治さんがエジプトに興味を持ったのは、小学4年生、10歳のときでした。

映画『十戒』を観て、古代エジプトの世界に心を奪われたのです。

「エジプトに行きたい!ピラミッドを見たい!」

この単純な憧れが、吉村さんの人生を決定づけました。

担任の先生のアドバイス

思ったことは行動に移すタイプだった少年・吉村作治は、さっそく担任の先生にエジプトへの憧れを語ります。

すると先生から、考古学者への道を勧められました。

そして、そのためには:

  1. 東京大学で学ぶべき
  2. 東大に合格するには、学力レベルの高い高校・中学へ進むべき

というアドバイスをもらいました。

吉村さんは、担任の先生に支えられながら猛勉強を開始。東京学芸大学附属大泉中学に合格し、そのまま附属高校へと進みます。


東大に4回落ちても諦めなかった青年時代

東大受験、4回の挑戦

高校3年生の冬、吉村さんは東京大学を受験。

結果は不合格

しかし吉村さんはくじけません。予備校に通い、一浪、二浪とチャレンジを続けました

エジプトへ行くという信念は、変わりません。

しかし三度目の挑戦も不合格。四度目の挑戦も不合格

母のアドバイスで早稲田大学へ

最終的には母親のアドバイスもあり、東京大学進学を断念。

母親はこう言いました:

「予備校も3年間通ったのだから、もう浪人はやめなさい。4回も落とした東大の先生の言うことを聞けるの?

この言葉に、吉村さんは納得。1964年、早稲田大学第一文学部美術史学科に入学しました。

後に知ったことですが、当時の東京大学の考古学の先生の専門地域は中南米とギリシャだけで、エジプトの専門家はいなかったそうです。

結果的に、早稲田大学への進学が正解だったのです。


大学1年生で「エジプト調査隊」を結成

「エジプトへ行こう!」と仲間を募る

早稲田大学1年生となった1964年、吉村さんはすぐに行動に出ます。

それは自らエジプト調査隊を作り上げることでした。

「エジプトへ行こう!」

当時大学1年生だった吉村さんがそう呼びかけると、30人くらいの学生が「自分も連れて行ってほしい」と手を挙げました。

資金集めと指導教授探し

仲間は揃いました。しかし、実際にエジプトへ行くには乗り越えるべき壁がいくつもありました。

課題1: 資金 → 自分たちで理解者を広げ、必死で集めました

課題2: 指導教授 → 当時の日本にエジプト学の専門家は皆無に等しい状態でした

吉村さんは学内の教授陣をくまなく調べ、西洋考古学で古代メソポタミアやシュメールの農耕起源を研究している川村喜一先生を見つけ出します。

面会を申し込み、指導をお願いしたところ、川村先生が引き受けてくださいました。

1966年、アジア初のエジプト調査へ

こうして1966年、吉村さん23歳のとき、念願のエジプトの地を踏みます。

アジア初の早稲田大学エジプト調査隊として、初めてエジプトを訪問したのです。

映画『十戒』を観てから13年。夢が現実になった瞬間でした。


発掘権取得までの5年間の苦闘

早稲田大学を休学、カイロ大学へ

エジプトの地を踏んだ吉村さん。次に目指したのは、大地の下に隠された遺跡の発掘でした。

そのためには、エジプト考古庁から発掘権を取得する必要がありました。

しかし、当時の早稲田大学にはエジプト発掘史の分野で何の実績もなく、エジプト考古庁に人脈もない。

そこで吉村さんは、大胆な行動に出ます。

「だったら現地のエジプトに住んでじっくり交渉するしかない」

早稲田大学を休学し、カイロ大学考古学部の聴講生になりました。

冷たい担当者の態度

発掘権の取得。その道のりは長かった。

何度も考古庁の窓口を訪ねて交渉にあたるが、担当者の態度は冷たい。

当時、発掘を行っていたのは欧米人が中心で、東洋人が関わったことはなかったからです。

吉村さんは、1969年に一度帰国し、早稲田大学を卒業。カイロ大学の大学院生として再びエジプトでの生活を始めました。

1971年、東洋人初の発掘権取得!

やがて苦心の末、エジプト考古庁の長官に会うチャンスを得、いくつもの障害を乗り越えてきた発掘権取得の道が開けていきます。

1970年3月には恩師の川村先生が考古庁を訪れ、発掘権取得が内定。

1971年3月、発掘権を正式に取得します。

それは東洋人初の快挙でした。

吉村さんのエジプト初訪問から5年が過ぎていました。


主な発見: エジプト考古学史に残る大発見の数々

1974年「魚の丘遺跡」発見

発掘権を得た吉村さんたちの調査隊は、やがてエジプト考古学史上に残る大発見を成し遂げます。

1974年、31歳のとき、エジプト・ルクソール西岸マルカタ南地区でアメンヘテプ3世の祭殿「魚の丘遺跡」を発見し、一躍注目を集めました。

1996年 世界初の衛星画像解析利用

1996年、ダハシュール北地区で神殿型大型貴族墓を発見。

この調査では、世界で初めて人工衛星の画像解析を利用した調査として注目を集めました。

ハイテクを考古学に導入した先駆者でもあったのです。

2001年「クフ王の銘が入った彫像」発見

2001年には、世界2例目となる「クフ王の銘が入った彫像」を発見

その後、さらに1体を発見しました。

2005年「青いミイラマスク」発見

2005年1月、未盗掘・完全ミイラの状態で発掘した、軍司令官セヌウの青いミイラマスクは非常に美しく、考古学史上も貴重な発見でした。

この発見は世界中で大きなニュースとなりました。

発見したミイラは200体以上

これまでに吉村さんが発見したミイラは200体以上に及びます。


現在の活動: 82歳の今も現役で発掘中!

2024年6月、エジプトへ出発

2024年6月30日、吉村さんはX(旧Twitter)でこう投稿しました:

「今からエジプトに行きます。発掘の成果に期待してくださいね」

82歳の今も、現役でエジプトの地を踏み、発掘調査を続けています

「太陽の船」復原プロジェクト

現在、吉村さんが最も力を入れているのが、古代エジプト最古の大型木造船**「第2の太陽の船」を発掘・復原するプロジェクト**です。

クフ王のために作られたこの船を復原することは、吉村さんの長年の夢でした。

2024年12月には、このプロジェクトのためのクラウドファンディングも実施され、目標額2,000万円に対して60%を達成しています。

ギザ台地のクフ王墓探査プロジェクト

また、ギザ台地に眠るクフ王墓の探査プロジェクトも本格的に作業が開始され、全世界からの注目が集まっています。

東日本国際大学総長として

2021年4月からは、東日本国際大学総長に就任。

福島県いわき市にある同大学で、後進の育成にも力を注いでいます。

大学では毎年学園祭で「古代エジプト展」を開催し、学生や地域の人々にエジプトの魅力を伝えています。


テレビでもおなじみ、多才な吉村作治

テレビ番組に多数出演

吉村さんは、考古学者としてだけでなく、タレントとしても活躍しています。

主な出演番組:

  • 『ビートたけしのエジプトミステリー』(テレビ東京)
  • 『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ)
  • 『探偵!ナイトスクープ』(ABC)- 顧問として出演

専門的な知識を分かりやすく、そして楽しく伝える語り口で人気を博しています。

料理好きとしても知られる

意外なことに、吉村さんは料理好きとしても知られています。

著書には:

  • 『Mr.ピラミッド吉村作治の簡単クッキング 10分でできるおいしいお惣菜』
  • 『吉村作治の味の冒険手帳 美味しければ自己流でいい!』
  • 『冒険の食卓 世界一の食事当番の秘伝』

など、料理本も多数執筆しています。

古代エジプトの食文化についても詳しく、「ビール、ワイン、パンは古代エジプトが発祥」といった知識を料理と絡めて語ることができます。

著書は100冊以上

吉村さんの著書は100冊以上に及びます。

代表的な著書:

  • 『ピラミッドの謎』(講談社現代新書)
  • 『エジプトミイラ五〇〇〇年の謎』(講談社+α新書)
  • 『太陽の船復活~エジプト考古学者吉村作治の挑戦~』
  • 『世界一面白い古代エジプトの謎』(中経の文庫)
  • 『運命を味方にする生き方』
  • 『夢、一直線』

専門書から子供向け図書、料理本まで、幅広いジャンルで執筆しています。


2010年、エジプトからゴールド・メダル賞

2010年4月、吉村さんはエジプト・アラブ共和国文化省エジプト考古最高評議会よりゴールド・メダル賞を受賞しました。

これは、長年の考古学研究の成果に対する評価です。

日本人がエジプトから考古学研究で表彰されるのは、極めて異例のことでした。


2024年10月、園遊会にご招待

2024年10月30日、吉村さんは園遊会にご招待され、赤坂御苑へ。

Xでこう投稿しています:

「陛下に数十年前にお会いして古代エジプトのことについてご説明申し上げたことを覚えていて下さり大変感激しました」

82歳になっても、エジプト考古学者としての活動が評価され続けています。


車いす生活の理由と健康状態

2013年、4メートルから転落

2013年、吉村さんはギザのピラミッドの南側で見つけた「第2の太陽の船」の発掘調査中、4メートルの高さから転落しました。

左膝を複雑骨折し、5年間車いす生活を送りました。

その後、歩行器や杖を使った生活に戻りましたが、現在も車いすを使用することがあります。

前立腺がんも発症

吉村さんは前立腺がんも発症しています。

抗がん剤治療を受けたことで、一部では「ろれつが回っていない」という声もありますが、本人は元気に活動を続けています。

※車いす生活や健康状態については、別記事で詳しく解説しています。


まとめ: 夢を追い続けた82年間

吉村作治さんの人生を振り返ると:

10歳: 映画『十戒』でエジプトに憧れる
中高時代: 東大を目指して猛勉強
18〜21歳: 東大に4回挑戦するも不合格
21歳: 早稲田大学入学
23歳: アジア初のエジプト調査隊として初訪問
28歳: 東洋人初の発掘権取得
31歳: 「魚の丘遺跡」発見
62歳: 「青いミイラマスク」発見
70歳: 4メートルから転落、車いす生活へ
78歳: 東日本国際大学総長就任
82歳: 現在も発掘調査を継続中


10歳で抱いた夢を、82歳になった今も追い続けている吉村作治さん。

東大に4回落ちても、4メートルから転落して車いす生活になっても、がんになっても、決してエジプトへの情熱を失わなかった。

「夢は諦めなければ必ず叶う」

吉村作治さんの人生そのものが、その言葉を証明しています。


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参考情報: 本記事は公開されている情報や報道、吉村作治さんの著書、インタビュー内容に基づいて作成しています。

免責事項: 記事内容は2026年1月時点の情報です。最新情報は公式SNSでご確認ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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